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思い出すこともできない誰かに支えられて、わたしは今日という日を生きているのだから。
いつどんなチャンスの波が来ても上手く乗れるように、身軽でいよう。
そう思ったわたしは、まずはお部屋のデトックスから始めることに。
いらないものはポイポイしちゃおう!
そう思い、”いつか使いそう” な物や服、資料などを袋に詰めていく。
いつか必要になるかもしれないと思い、残しておいたアメリカ留学のときの資料を手に取る。(約5年経った今でも、そんな「いつか」なんて、来たことがない。)
さらっと目を通しながら、リズムよく捨てていく。
その中に日本語チューターの紙が。
すっかり忘れてたけど、日本語を学ぶ現地学生のサポートをしてたんだった…!
そんなことを思い返していたら
当時関わった日本語クラスの先生や、現地で出会ったお友達のことを思い出した。
彼らが記憶に蘇ったのもあれ以来だ。
記憶の引き出しの奥深くにいたみんなが、ほこりをかぶり、咳き込みながら出てきた。
今まで引き出しから出せていなくて、ごめんなさい。
今思い返せば、色んなお話したなぁ。
「アメリカでは英語オンリー!」を貫いていた最初の時期。お互い母国語は日本語なのに、英語でお話してくれたり。
遊びに誘ってくれたり。
楽しかったなぁ、留学生活。
みなさん、ありがとうございました…!
・・・
雨の中車を走らせていると、ふと頭に浮かんだのは、ミシェル。
昔、近所に住んでたブロンドの髪をしたアメリカ人の女の子。
彼女のお父さんはひょろっと細くて、身長がすっごく高かった。
みんな、そんな彼のことをダーディーって呼んでた。ミシェルがそう呼ぶから、みんなそう呼んでたんだけど、今考えると「お父さん(daddy)」って呼んでたんだね。
ダーディーの意味すら分からず、彼の名前だと思って呼んでいた当時のわたし。かわいいなぁ。
(よその子どもたちにお父さんと呼ばれていた彼の心境がすごく気になる。)
たまに、彼が英語教室を開いてくれた。
近所の子どもたちが集まり、みんなで彼から教わっていた。
その頃わたしは、やっとABCが分かるぐらい。
記号にしか見えない文字をノートに並べるので精一杯。ノートに文字を書き写すことすら新しい体験。
ただただ、わたしにはハードルが高すぎて、終始ちんぷんかんぷんで、ただそこに座ってるだけだったことを覚えている。
英語を学びたいんじゃなくて、お友達とその場にいたかった。ただそれだけの理由だったんだろうなぁ。
今振り返ると、
きっとわたしは、記憶の奥深くにしまって忘れてしまっていた誰かに支えられて、今ここにこうして生きているんだろうなぁ、って。
もしかすると、ダーディーの英語の授業がなければ、わたしは大学で英語を専攻していなかったのかもしれない。留学になんて行ってなかったかもしれない。
大学で英語を専攻したのも、留学に行ったのも、彼がきっかけってわけではないのだけれど。
でも、もしかすると、頭の奥深くでは彼との経験がわたしの進む道を作っていたのかもしれない。
自分がこうして歩んできた道は、
今、ふと思い出した、あの人。
長い間忘れてしまっていた、あの人。
忘れていることさえ忘れている、あの人。
映画館で隣に座っていた知らない、あの人。
ただすれ違っただけの知らない、あの人。
そんなわたしの生活に一瞬でも関わってくれたみなさんのおかげで、今、こうして今日を生きるわたしがいるのかもしれない。
拝啓、みなさん。
こころから、ありがとう。
たすく。
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